奇香茶坊(顔奇苑茶荘)
今年は桜の開花期間が長かったし、梅雨も少し遅めだったし、夏も少し遅め…になってくれると嬉しいのですが、そううまくは行かないのでしょうか?
夏が苦手なもので…。(^−^;)
それでは、新茶情報でお休みになっていた香港茶荘事情、今月は「奇香茶坊(顔奇苑茶荘)」のお話です。

顔奇苑茶荘の現在の社長は顔 文正さんで、2代目になります。彼のお父様で、初代の社長である顔 思敬さん(故人)は、1911年に広東省の潮陽生まれ。
実家は代々錫の茶缶(茶筒)を茶荘へ卸していたとのこと。
そんな中、顔 思敬さんは1928年に香港への移住を決意します。
当時の香港で、当てもなく移住してきたばかりの潮(シ山)人が就くことのできる職業は
@米屋
A駄菓子屋
B苦力(物を担いで運ぶ仕事)
くらいだったそうです。
この頃は、大陸からの荷の多くは上環や西環の船着き場に下されていたため、九龍地区、尖沙嘴辺りから九龍倉(九龍にあった以前の空港)への物資は人によって運ばれ、売られ、それで生計を立てていた人達が沢山いたそうです。
顔思敬さんも上環や西環へ赴き、お茶を2箱(1箱10〜15kg)仕入れ、担いで九龍半島へ運び売る商いから始め、お店を持つまでになったのだとか。
何だかアメリカンドリーム(死語?)みたいで良いですねぇ。
さて、顔奇苑茶荘に入ると、「顔奇香荘」という古い小さめの看板が掛けてあります。
不思議に思って、現社長に伺ってみると「当時父は何の商売をするか決めないで、この看板を作ったからこういう名前になっちゃったらしいよ。だからよく「お香屋か?」って聞かれたものだよ。」と笑って答えてくださいました。
その後、初代社長が「顔奇苑茶荘」を立ち上げ、現社長になってからは「奇香茶坊」を立ち上げ、現在に至っているそうです。

最後に、「景気はどうですか?」と聞いてみたら…
「70年代後期〜80年代後期までは、大陸のお茶を台湾まで運ぶのはすごく難しかったから台湾人は頻繁に香港を訪れて、個人で1斤ずつ運んだりして、その量たるや凄いもので、儲かったんだよ。
自分も80年に父がなくなって、当時40万HK$使って内装をし直したりもできたしね。
でも90年代に入ってから、台湾人は直接大陸に入るようになって、数字も落ちたところに、屋賃があれよあれよと言う間に急騰して…厳しい時代に入ったよ。
それに、日本のお客さんも、以前は1缶(1斤・100g)どころか何缶も買って行ってくれたのだけれど、今は100g数個というのが多いねぇ。」
とのことでした。(苦笑)
こちらでは、日本人には緑茶、ジャスミン茶、鉄観音茶が人気があるそうです。
お茶教室も開催していて、香港在住の方、旅行で滞在する方大歓迎だそうですよ!
チャンスのある方は是非☆
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